イオンモール茨木〜てくてく商業施設探訪No.24
イオンモールになるまでの複雑な経緯
イオンモール茨木の敷地は、もともと日本専売公社(現:JT)の茨木工場跡地でした。この広大な土地には、1990年代前半に、大規模百貨店「茨木そごう」の出店が計画されていました。しかし、計画を進めていたそごうグループの経営不振が深刻化したため、この計画は断念されました。
そごうの計画が頓挫した後、この土地に目をつけたのが、当時の大手流通グループであるマイカルでした。マイカルは、核となる総合スーパー「サティ」を中心に、若者向けのファッションビル「ビブレ」、そして映画館を併設した複合商業施設「マイカルタウン」を全国各地に展開していました。マイカル茨木もこの構想に基づいて計画され、2001年1月1日に「マイカル茨木」として開業しました。核店舗は「茨木サティ」と「茨木ビブレ」、そして映画館として「ワーナー・マイカル・シネマズ茨木」が配置され、ファッション、グルメ、エンターテイメントを一度に楽しめる、当時の新しいショッピングモールの形を提示しました。
しかし、開業からわずか9か月後の2001年9月、マイカルは多額の債務を抱え、民事再生法を申請して経営破綻しました。これは、小売業界史上最大級の大型倒産として大きな話題となりました。マイカルの破綻後、イオングループがスポンサーとなり、マイカルの経営再建を支援しました。これに伴い、マイカルが運営していた店舗は徐々にイオングループのブランドへと転換されていきます。2011年には、マイカル茨木は「イオン茨木ショッピングセンター」に、核店舗の茨木サティは「イオン茨木店」に名称が変更され、イオングループの店舗として再出発を切りました。イオンモール茨木への変貌その後も、イオングループによる大規模なリニューアルが行われ、2015年には現在の「イオンモール茨木」という名称になりました。核店舗も「イオンスタイル茨木」に名称変更され、現在の姿となりました。
このように、イオンモール茨木は、そごうの出店計画から始まり、マイカルの破綻と経営再建という波乱の歴史を経て、現在の姿へと至っています。その成り立ちには、当時の流通業界の競争と変遷が色濃く反映されていると言えるでしょう。












